階段


 いつもの帰り道に、小高い丘の展望台へとつづく長い石段がある。
 いつもほとんど人の姿を見ることもないさびれた階段である。そこに、毎日のようにひとりの男性が現れるようになったのは、わたしが中学校にあがった頃だった。もう2年以上前のことだ。
 男性は年齢不詳で、おそらく50代と思われたが、軽い運動にはいささかきつすぎる階段であることを思えば、意外に見た目よりは若いのかも知れなかった。
 小さい頃には、よく遊びに行ったものだが、最近ではそばを通るだけで登ることもない階段を、彼はいつも息を弾ませて上り下りしているのだった。
 ある日、ふと丘の上からの景色が見たくなり、わたしは数年ぶりに石段に足をかけた。傾斜はやや大きめではあるが、少し歩くとすぐに山頂にたどりついた。
 最上段には先客がいた。あの男性である。
「いやいや、参りましたよ今日は」
 彼が突然話しかけてきたのでわたしは驚いた。幾分気味が悪いとも感じたが、それ以上に彼の行動の謎が興味深く、わたしは聞き返した。
「何がですか?」
「思ったより長かったんですよ。今日は」
 言っている意味がわからず、わたしは眉をひそめた。やっぱり少しおかしいのかもしれない。
「あ、警戒しないで大丈夫ですよ。僕はおかしくなんかありませんから」
 わたしが黙っていると、彼は汗を拭きながら石段を指した。
「おかしいのは、この石段です」
「この階段が?」
 おうむ返しに問うわたしに、彼はにっこりとうなずいた。
「これ、何段ぐらいあると思います?」
 唐突に聞かれ、わたしは考えた。思っていたよりも少ないように思えたが、以前登ったときはまだ子供だったせいだろうか?
「わたしは2年前から、毎日この階段の段数を記録してるんです」
 意味がわからず、わたしはきょとんとした。彼は一冊の手帳を広げると、わたしに差し出した。見ると、日付と天候の横に、数字がメモされている。今日は509、昨日は214・160と記されていた。
「これは、登るときによって段数が変化する階段なんです」
 今日は509段だったのかと聞くと、彼はうなずいた。左の数字は上りの段数、右の数字は下りの段数なのだと言う。たいていは100から200前後なのだが、ときおり今日のように急増することもあれば、10段程度で唐突に終わっていたこともあったらしい。
「2年前、会社をリストラにあって……再就職先もなく、とりあえず昔ためた貯金と内職でほそぼそと生計をたてているんですが……ここの秘密に気が付いて以来、ひそかな楽しみとなってるんですよ」
 これからも毎日数え続けるつもりだと、力無く微笑んで、男性はタオルを手に石段を下り始めた。
 すぐに信じられる話ではなかったが、馬鹿馬鹿しいとも言えなかったのは、実際に下りてみると、なぜか上りよりもずっと時間がかかったからだった。
 彼の姿をぱったりと見なくなったのはその日からだ。なにか石段に来られない事情ができたのかもしれなかったが、しかしわたしはなんとなく背中に寒いものを感じた。
 段数が自在に増えたり減ったりする階段。人が歩ける範囲で多かったり少なかったりするだけならまだいい。もしも、一生かかってもとうてい登り切れないような長い長い階段に、足を踏み入れてしまったのだとしたら………?
 以来、私はあの階段には近づかないようにした。高校に進学してからは、あの道を通ることもない。
 彼の行方は、誰も知らない。


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