夜の話


 机の前に座って窓の外を眺めていたら、緑色の小人がやって来た。
 小人はまぶしいくらいに黒い空にぽっかりと浮かんだ満月から表れたように見えた。わたしがこんにちわと挨拶をすると、小人は黙ったままこんにちわと小人のやり方で応えた。
 小人が若葉色の指でしきりにわたしの服の袖を引っ張るので、わたしはどうかしたのかとたずねた。小人はこたえず、窓の外へと身を躍らせた。
 空を飛ぶかと思ったが、窓枠から飛び出したときの手を大きく広げた姿勢のままで、小人は2階下のアスファルトへと自由落下していく。ぺちっという質量の小さい物体が衝撃を受ける音が耳に入って少しがっかりしたが、すぐに小人は私の目の前までうかびあがってきたので、わたしは小人に拍手をしてあげた。
 それから小人はわたしの目の前で8の字を描いてみせたり、月に重なるようにしながら身体を満月のように丸く丸くしたのでわたしは笑った。
 見ると小人が小さな手のひらになにか光るものを握っている。見ると星だった。小人は星は空に生えている花で、昼のあいだは花びらを閉ざしているためわたしたちには見えないのだと言った。星が流れるのは、枯れた星の花が散ってゆく姿なのだとも。
 小人が摘んできた星の花を手のひらに握ると、星はぱちん、と音を立ててはじけた。
 星は黄色い星だったので、黄金色に輝く飛沫をちらして砕け、わたしの目の前に打ち上げ花火の火花のなごりのような輝きを残して消えた。それがあまりに綺麗だったので、わたしは笑った。
 わたしが喜んだのを見て小人はわたしもやってみないかとたずねた。そしてわたしの手を取ると、窓から外に連れ出そうとした。
 窓から身を乗り出して、思い切って壁を蹴ると、一瞬だけ内臓が浮かび上がるイヤな感覚がしたが、すぐにわたしは小人に人差し指を握られながら空中に浮遊した。
 少し怖かったが、おそるおそる小人の手を離しても、わたしは落下することはなかった。
 おいでおいでと手招きをする小人の緑色にぼんやり光るシルエットをたどって、ばた足の要領で進む。水中にいるときというのは、水中に向かって沈んでゆくよりもむしろ水面目指して浮かび上がる方がたやすいが、それと同じようにわたしの身体は軽い空気抵抗を受けながらもすいすいと夜空に向かって浮かび上がっていた。
 よく見ると、空は淡い波紋を作る水面のように揺らいでいて、水中花の星はふわふわと夜空のカーテンの間際を漂っている。
 手を伸ばすと星は自らこちらに流れてくるかのごとくわたしの掌に吸い付いてきた。青い星を握りしめると、結晶が砕け散るかのように小さなかけらとなって飛び散ったが、不思議と肌を傷つけることなく四散する。砂糖菓子が水に溶けてやがて拡散するのを思わせる。
 今度は赤や黄色、白い星とまとめて砕くと、それぞれの色が混ざり合い、大理石のようだった。
 あまりにも綺麗だったのでわたしは笑いながらそれを繰り返した。わたしと小人のまわりが星のかけらで満たされていった。
 ふいに星が指にこびりついているのを舐めてみる。甘い香りにもかかわらず苦みが強い。優しげに甘い香りを持ちながらもそれ自体は苦くて食べられないバニラの木を思い出す。
 そんなわたしを見た小人はわたしの服をくいくいっと引っ張ると、すぐそばにせまった月を指さした。
 夜空を手でつたうように月に近づくと、砂糖をたっぷり入れたメレンゲを焼いたかのような香ばしい香りが漂ってくる。
 小人がふっくら丸くなった月の表面を手でつかむと、月はすぐに破れて小人の花びらほどの掌にかけらが残った。
 驚いていると、小人はそれをひょいと口に入れた。そしてわたしの手を引っ張り、やってみろと言う。
 言われた通りにわたしは月を手で撫でる。それはふんわりと柔らかく弾力があり、そのまま握りしめると意外にも薄い膜を破るように月は千切れていた。
 柔らかな感触は、わたしに得も言われぬ安心感を与え、わたしはそのかけらをひといきに頬張ってみた。咀嚼に必要な力はほどよく、柔らかいながらも噛みごたえのある食感と、かなりの甘みがイヤなものにならない香り。まさに地上のものではない味に恍惚とする。
 わたしは小人と顔を見合わせて、微笑みあった。
 ふたりでいくらか食べ続けて、見上げると月の破れ目の向こうには見たことのないような空間がひろがっていた。あれは何と小人にたずねると、ここではないものだよとだけ答えた。
 今ふたを剥がしてしまったからねと言うと、そろそろ戻らなくてはと小人はわたしをもとの部屋へと引き下ろしはじめた。
 降下しながらわたしは月に開いた穴を見上げた。何か赤いような空間がそれ自体で蠢いているように見え、無性に不安な気持ちになってわたしは小人の手をぎゅっと握りしめた。
 エレベーターで降下する感覚を味わいながら、わたしは何故か同時にあの月の向こうへ吸い込まれつつある気持ちになって目を閉じた。世界が反転した。


 いつのまにか眠ってしまって夢をみていたらしい。わたしは部屋の机から顔を上げると、窓の外に目を向けた。いつもと同じ夜空が綺麗だった。
 真っ赤な夜空に三日月が笑っていた。


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